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​火災報道について

​首里城火災について​(10.31~12月末)

※一般の方の氏名が掲載されていない記事を紹介

2019.10.31 琉球新報 号外 首里城6殿全焼/正殿、南・北殿など/4200平方メートル焼損正殿火元か  31日午前2時40分ごろ、那覇市首里の世界遺産の首里城で火災が発生し、正殿と北殿、南殿、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどうん)、二階殿の6殿が全焼した。那覇市消防局によると、焼損面積は約4200平方メートル。午前11時に鎮圧した。市消防局や近隣の7消防本部の応援も含め計30台、約100人が消火活動に当たっている。県警や消防によると、周辺への延焼やけが人などは確認されていない。  市消防局によると、同日午前2時41分に警備会社力、ら正殿の火災報知器が反応したとの通報があった。爆発音も数回確認され、広範囲で火の粉が飛んだ。県警が周辺一帯で交通規制を敷いて立ち入りを規制した。那覇署は、火元は正殿とみて調べている。衛藤晟一沖縄担当相は同日午前、「一刻も早く再建しないといけない」と述べた。首里城公園管理センターは火災の影響で31日朝から臨時休園にすると発表。11月3日に予定していた「琉球王朝祭り首里」は中止となった。

2019.11.01 琉球新報 朝刊 1ページ

 

〈首里城焼失〉首里城7棟焼失/正殿出火し全焼/貴重文化財も被害か

 

 

31日午前2時35分ごろ、那覇市首里当蔵町の首里城正殿から出火し、隣接する北殿と南殿、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどぅん)、二階御殿、奉神門の7棟にも延焼した。正殿は全焼した。7棟の建物面積は計4836平方メートル。那覇市消防局は近隣市町村の消防本部にも応援を依頼し、計53台の人員137人が消火に当たった。約11時間後の同日午後1時半に鎮火した。けが人はいない。正殿内部が火元とみられるが、原因は不明。消防と那覇署などは11月1日午前10時から現場で実況見分し、出火原因の調査に入る。沖縄の象徴の焼失に県内外で衝撃が広がった。

市消防局などによると、31日午前2時34分に警備会社の防犯センサーが作動、同40分には自動火災報知設備が反応した。駆け付けた警備員が正殿北側のシャッターを開け、中に入ると煙が充満していた。

沖縄総合事務局によると、首里城の建物焼失の被害額は約73億円。内訳は、正殿が約33億円、北殿と南殿、奉神門を合わせて約21億円、その他約19億円。

正殿は木造3階建てで、外側に水の膜をつくり外部からの延焼を防ぐドレンチャーは整備されていたが、スプリンクラーはなかった。防犯カメラはあり、県警が映像を解析している。

琉球王国の中心地だった首里城は、三山時代の1400年前後、中山の拠点が移って以降、今回を含め、火災や沖縄戦で5回焼失した。1992年に主な施設が復元され、正殿地下の遺構部分など城跡は2000年に世界文化遺産に登録された。今回の火災で貴重な文化財も焼失したとみられる。

首里城公園は31日朝から休園。11月2、3の両日に開催予定だった首里城祭と組踊特別公演は中止となった。正殿前の御庭では30日から31日午前1時すぎにかけて、リハーサルや舞台設営が進められていた。

玉城デニー知事や城間幹子那覇市長は同日、現場を視察した。

首里城公園を管理する沖縄美ら島財団の花城良廣理事長は「県民の皆さまに大変ご迷惑をお掛けした」と陳謝した。火災で火の粉が広範囲に舞い、市は一時避難所を設け、那覇署は周辺住民を避難誘導した。

文化庁は調査官を31日午後、現地に派遣。保護対象となっている文化財の焼損状況などを調べた。首里城再建へ向け、募金や支援を呼び掛ける動きが起こり、ソーシャルメディアなどを通じ多くの工一ルが発信されている。

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2019.11.01 琉球新報 朝刊 3ページ

 

〈首里城焼矢〉防火体制を検証へ/原因不明、きょう見分/市長、再建に「最大限協力」

 

 

沖縄の世界遺産である首里城が31日未明、焼失した。出火原因はいまだ不明で、1日から県警と消防による実況見分が始まる。今後、首里城を管理運営する県や沖縄美ら島財団による防火体制などの検証が急務となる。沖縄戦を含め、これまで4回にわたって焼失し再建されてきた首里城は沖縄の戦後復興の象徴として県民の心のよりどころでもあった。今回の焼失に対する県民の喪失感は大きく、再建に向けた財源の確保など課題も突き付けられる。1日には玉城デニー知事が上京し、政府に支援を求める。今後は県と国の調整が焦点で、関係機関の連携が再建の鍵を握る。(1面に関連)

31日未明に発生した首里城の火災を受け、那覇市は同日午前、会見を開いた。城間幹子市長は近隣住民を心配した上で「県民にとって象徴的な世界遺産であり、観光にとっても財産だ。琉球の歴史を物語るシンボルを失った。衝撃を受けている」と述べた。同席した島袋弘樹消防局長は「消防設備が維持されていたのか確認し、どのように延焼拡大したのか検証する」とした。

市によると消防設備の点検は年2回、訓練は年1回以上行われ、訓練には市も立ち会っている。点検については3年に1回、市に報告義務がある。

城間市長は「火災原因(究明)などいろんな課題が目の前にあるが、早い段階で再建されるとありがたい」とし「県主導で国に(協力を)あおぎながら進んでいくのではないか。市も最大限の協力をする」と述べた。

県内では首里城から出発する予定だった東京五輪聖火リレーへの影響については「関連部署と相談する」とした。

城間市長は同日午前、火災現場も視察した。視察後、報道陣に対し「正殿の龍柱は黒くなって立っている。瓦は全部落ち、くしゃっとなっている状況で非常に残念だ」と語った。

那覇市管理の文化財の被害は確認されなかった。

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2019.11.01 琉球新報 朝刊 32ページ

 

〈首里城焼失〉花城理事長が謝罪/美ら島財団詳細は語らず

 

 

首里城火災を受け、指定管理者として城の管理運営を担っている一般財団法人「沖縄美ら島財団」(本部町)の花城良廣理事長が31日夜、那覇市首里金城町の首里城公園事務所で取材に応じ、「大変ご迷惑をおかけした」と謝罪した。火災の原因や防火体制などについては口をつぐんだ。

この日は、早朝から首里城そばの事務所前に約30人の報道陣が殺到し、財団トップの花城理事長による会見を求めた。花城理事長は昼ごろにいったん姿を見せたが、沈黙を保ったまま事務所内に。火災発生から半日以上が経過した午後6時すぎにようやく囲み会見に応じた。

カメラのフラッシュを浴びながら「このたびは県民の皆様に大変ご迷惑をおかけしました」と深々と頭を下げて謝罪。建物の大部分が焼失した首里城を「沖縄のシンボル」と表現し「今は形がないが、将来に伝えていきたい」と語った。

しかし城内に保管しているとされる文化財の被害状況について明らかにすることはなく、「(関係機関と)連携を取りながら(調査を)やっていきたい」と述べるにとどまった。

報道陣からは施設内に火災防止用のスプリンクラーを設置していなかった理由についても質問が飛んだが、言葉少なに「調査をしている」「はっきりしていない」と繰り返した。

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2019.11.01 琉球新報 朝刊 32ページ

 

〈首里城焼失〉未明の炎県民衝撃/城の構造、火勢に影響/「□」の字型、熱逃げず

 

 

火災は深夜の首里城正殿で発生した。那覇市消防局の隊員は119番通報の7分後に現場に到着したが、火の手は抑えられず正殿はわずか約2時間半で燃え落ちた。正殿は木造建築で内部にスプリンクラーなどの自動消火設備がなかった。正殿の火災から発する放射熱の二次被害を避けるため、隊員らが御庭から一時退去する場面もあった。事前に設定した警防計画にほぼ沿った形で消火活動はできたというが、想定外の火の勢いを止められなかった。

市消防によると、31日午前2時34分に正殿に設置された警備会社のセンサーが作動。同社沖縄営業所が首里城に常駐する警備員に確認を促すと、正殿内で煙を目撃した。警備会社は同41分に119番通報。警備員は消火器で消火に当たったが「火の手が強かった」として、正殿内の消火栓や正殿外の放水銃は使用しなかった。

市消防などによると、建物は文化財に指定されていないため、消防法に基づくスプリンクラーの設置義務はない。正殿の軒下には「ドレンチャー」という外からの火を防ぐ放水設備が付いていたが、作動したのかは不明だ。

消防関係者は「城」という構造が消火活動に影響した可能性があると指摘する。二階御殿南東にある防火水槽から取水して放水する際、城壁をう回しないといけないためホースを延長する手間が掛かった。

市消防の新城敏行警防課長は「正殿や北殿、南殿、奉神門に『□』の字型に囲まれている御庭は、いろりのように放射熱を逃がしにくい構造となっている。計画通りにほぼ沿った形で消火活動はできたが、正殿の燃え広がりは想定外だった」と説明した。

首里城周辺では30日から31日午前1時半ごろに掛けて、首里城祭関連の舞台設営や参加者のリハーサルが行われ、関係者が出入りしていた。業者や出演者は取材に対し、正殿への出入りを否定した。

火災で一般市民の負傷者はいなかったが、応援の消防隊員1人が脱水症状を起こして搬送された。那覇市が開設した避難所には一時最大33人が避難したが、午前7時半までに帰宅した。煙の臭いは未明の豊見城市まで漂い、燃えた木片らしきものは周辺数キロに飛散した。

市消防によると直近の首里城内の消火訓練は2018年12月に実施。防災設備の点検は19年3月に実施したが、特に問題はなかった。

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2019.11.01 沖縄タイムス 朝刊 1ページ

 

首里城炎上 正殿が焼失/沖縄の象徴崩落/主要7棟被害正殿内部火元か

 

 

31日午前2時40分ごろ、那覇市の首里城公園で火災が発生したと警備会社から119番通報があった。正殿と北殿、南殿がほぼ全焼するなど主要7棟(施設面積計4800平方メートル)が焼け、約11時間後の午後1時半に鎮火した。那覇市消防局によると、正殿内部から火が出た可能性が高い。出火原因は不明。一般市民にけが人はいない。首里城は沖縄のシンボル的な存在で、年間300万人近くが訪れる県内有数の観光スポット。県は同日午後に対策本部を開き、玉城デニー知事が「必ず復元する」との考えを示した。県警は11月1日午前に実況見分する。(2・3・6・9・10・11・23・24・25・29・30・31面に関連)

首里城には琉球王国時代の貴重な美術工芸品などが収蔵されており、被害を受けた可能性がある。

消防によると、出火は31日午前2時半ごろ。正殿の火災検知器が反応したため、警備員が正殿の北側シャッターを鍵で開けたところ、煙が充満し、火柱が上がっていた。消防車両約50台、消防隊員ら約170人が出動した。隊員1人が熱中症の疑いで搬送された。

県警は外部からの侵入は考えにくいとみている。正殿内の防犯カメラ映像の解析を進めている。

正殿や北殿は崩れ落ち、首里城南側の住宅地にも火の粉や灰が及んだ。周辺住民には一時避難指示が出され、交通規制が敷かれた。

正殿は木造、北殿と南殿は一部木造。「黄金御殿」「書院・鎖之間」「二階御殿」「奉神門」も被災した。

27日から首里城祭が開かれており、31日午前1時半ごろまで正殿前の「御庭(うなー)(中庭)」で照明や舞台設営が行われていた。イベント関係者は「正殿の中には誰も入っていない」と説明した。

韓国出張中だった玉城知事は急きょ帰国し現場を視察した。1日にも菅義偉官房長官と面談し、再建への協力を要請する。菅官房長官は会見で「再建に向け全力で取り組んでいく」と述べた。

首里城公園を管理・運営する沖縄美ら島財団の花城良廣理事長は「地域の皆さんにご迷惑をお掛けした」と陳謝した。

沖縄戦で焼失した首里城は1992年から順次復元された。7棟は対象外だが、首里城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」は2000年に世界文化遺産として登録され、沖縄サミットの舞台にもなった。首里城公園は20年東京五輪で聖火リレーのコースにもなっている。

文化庁は「世界文化遺産登録の対象は復元された首里城の建物ではなく、首里城跡。登録抹消とはならない」との見通しを示した。

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2019.11.01 沖縄タイムス 朝刊 2ページ

 

県 移管との関連否定/国管理時の基準で運営

 

 

火災が発生した国営沖縄記念公園の首里城正殿などの有料施設は、今年2月に国から県へ管理運営が移管された。県は、国管理時と同じく、都市公園法に基づき管理し、正殿などが含まれる国営区域は火気厳禁となっている。

27日から、県管理後では初の首里城祭が開催されているが、行催事の開催も移管前と同様の国基準で運営している。

担当の県都市公園課の玉城謙課長は「県への管理移管が、今回の火災につながったとは認識していない」と、県移管との関連性を否定した。

県への移管は、2012年5月に開かれた沖縄復帰40周年記念式典で、当時の野田佳彦首相が表明。以後、国と県などで協議を進め、県が同施設を活用した文化観光振興を主体的に進めることを目的に、移管された。移管後も、所有者は国となっている。

国との協定で、県の管理期間は19年2月1日から23年1月31日までの4年間と定められている。県によると、管理期間は、不可抗力で県が管理できなくなった場合は、国との協議に入ることになっており、焼失を想定した取り決めはない。県管理中の4年間、指定管理者の沖縄美ら島財団に運営を委託することになっている。

県は同財団へ、火災が発生した31日未明の警備体制について、人数や配置などを問い合わせているが、同日午後9時時点で県へ回答は届いていない。

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2019.11.01 沖縄タイムス 朝刊 3ページ

 

[ニュース断面]県と政府 再建決意/対立封印 迅速に対応/県の管理責任疑問視も/首里城火災

 

 

沖縄のシンボル首里城が焼失する衝撃的な事態に、県や政府与党は31日、早くも「再建」を打ち出すなど迅速に対応した。財産を所有する国と、管理運営する県。両者とも、名護市辺野古の新基地建設を巡る政治的対立は封印し、精神的支柱を失いショックを受けた県民に寄り添うことを最優先する。一方で、県政野党の自民党からは県の管理責任を疑問視する声も上がる。(政経部・銘苅一哲、大野亨恭、東京報道部・大城大輔)=1面参照

玉城デニー知事は31日正午すぎ、予定を早め出張先の韓国から那覇空港に戻り、こわばった表情で到着口に待ち構える報道陣の前に現れた。

知事にコメントを求め、道をふさぐ報道陣に「通してください」と声を荒らげ、多くを語らないまま緊迫した雰囲気の中で足早に公用車へ。

帰国から30分後には首里城で消防本部から火災の状況を聞き取り、県庁に戻ると午後2時半に県三役と各部長でつくる「首里城火災対策等本部会議」を立ち上げるなど迅速に対応した。

県は台風などの際に災害対策本部を設置して被害状況や対応策を協議するが、今回設置された対策本部は首里城の再建を視野に入れた点で従来と異なる組織。

知事も会議の最後に「言葉にできない喪失感がある。同時に、必ず復元させなければならない強い思いもある」と県民へのメッセージを発表。1日には上京し、関係省庁に再建を要請する。

県幹部は「県庁にはすでに多くの応援のメッセージが届いている。知事は現場を視察し、早い段階で復元の考えを強く発信しなければ、県民を多くの人を落胆させてしまうと考えた」と一連の対応の背景を説明する。

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政府与党の動きも速かった。

菅義偉官房長官は午前の会見で再建に取り組むことを表明した。午前8時からもともと予定されていた自民党の都市公園に関する特別委員会と議員連盟の会合では、急きょ首里城を議題に追加。早期の再建着手を盛り込んだ緊急決議を採択し、県関係の西銘恒三郎、国場幸之助、宮崎政久の3衆院議員とともに、赤羽一嘉国交相に要請した。

政府関係者は「県民のよりどころで、国の財産でもある。再建するのは当然だ」と語る。自民党関係者も、こう強調した。

「県民のため、こういう時にしっかり対応するのが政権与党の責任だ。政争の具にしてはならない」

 

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ただ、首里城の管理を国から移管された県の責任は現時点で不透明だ。

池田竹州知事公室長は管理体制の検証について「火災原因を警察、消防が捜査をしている。原因が明らかになれば、今後の対応を含めて話し合う」と述べるにとどめている。

自民党県連の関係者は「県管理に移った直後の火災。県の管理体制の検証は必須だ」と県の責任を追及する姿勢を示した。ただ、別の関係者は「県民が大切にしていた場所。政局に利用すれば県民からの反発は必至だ」とし、政治的立場を超え管理体制を検証する必要性を強調した。

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2019.11.01 沖縄タイムス 朝刊 5ページ

 

[社説]首里城焼失/説明と原因究明を急げ

 

 

首里城で火災が発生した。御庭(うなー)を囲む正殿、北殿、南殿の主要建造物のほか書院・鎖之間、二階御殿、黄金御殿、奉神門の7棟(計4800平方メートル)が焼失した。

未明、真っ赤に燃える首里城。目撃した住民は立ちすくんだ。崩れ落ちた正殿の姿に、登校する子どもたちは涙した。「またこんな光景を見るなんて」。かつて戦火に焼かれる首里城を見た高齢者は悲嘆に暮れた。多くの県民が惨劇を悲しみ、驚きを隠さなかった。なぜこんなことが起きたのか。

首里城の警備員が正殿の中から煙が上がっているのを目撃し通報したのは31日午前2時半ごろ。那覇市消防局は同2時41分、消防車両8台、署員31人が出動した。その後2度にわたって各地の消防から車両や署員が追加派遣され、車両のべ53台、署員171人が消火活動に参加した。

しかし火勢は強く、鎮火したのは通報から11時間後の午後1時半。正殿は跡形もなく崩れ、首里城の周辺一帯は午後も木材が焼け焦げたにおいに包まれた。

焼け落ちた正殿の中には琉球王国時代から伝わる絵画や漆器、染織物などが収蔵されていたとみられている。これら建造物の足元には2000年に世界遺産登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部、首里城跡も広がる。火災は県民の財産を奪っただけでなく、世界遺産を焼失の危機にさらした。

最初に煙が目撃された正殿は施錠されていたという。なぜ出火したのか。火元の特定が急がれる。

 

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未明の火の粉は周辺住宅にも降り注ぎ、一時は30人近くが避難所に身を寄せた。

火の勢いが持続した理由について当局は、塗装下地に漆が使われていることを示唆している。

施設にはスプリンクラーは設置されていなかった。正殿には外部からの延焼を防ぐため外壁に水の幕を張る消火装置「ドレンチャー」が設置されていたが、火元は正殿内部とみられており機能しなかった可能性もある。専門家からは首里城の特性に合わせた防火体制の不十分さを指摘する声も上がっている。

これに対し首里城を管理する沖縄美ら島財団は、現場検証が未実施であることなどを理由に、マスコミ各社が要求した記者会見を見送った。火災が与えた影響の大きさを見れば大いに疑問だ。首里城の運営は今年2月に国から県へ移管されたばかり。県や財団は早急に説明責任を果たすべきだ。

 

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14世紀半ばから後半に築城された首里城が全焼したのは4度。2度は沖縄戦を含む戦火で2度は失火によるとされる。中国からの冊封使を迎えた首里城はかつて琉球国が国際社会への参加を演出する場で、戦後は沖縄戦からの復興の象徴に。いつの時代も県民の心のよりどころだった首里城は、度重なる焼失にもかかわらず復元されてきた。

今回もすでに復元に向けた寄付が県内外から寄せられている。思いに応え、悲劇を繰り返さないためにも徹底した原因究明が求められる。

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2019.11.02 琉球新報 朝刊 1ページ

 

〈首里城焼失〉首里城収蔵400点焼失/尚家資料や玉座も/県文化財3点、状態不明/警察、消防が実況見分

 

 

10月31日未明に首里城の主要な建造物7棟が焼けた火災で、指定管理者の一般財団法人「沖縄美ら島財団」が所有している貴重な美術工芸品など収蔵品1510点のうち、展示中だった少なくとも400点余が焼失した可能性が高いことが1日、分かった。県指定有形文化財3件は、耐火性がある二つの収蔵庫の中に入っているが、内部の状況は確認できていない。財団の花城良廣理事長が同日記者会見し、「首里城の管理運営者として、火災発生に関わる状況報告が遅れたことを深くおわび申し上げる」と謝罪し、火災の経緯や収蔵資料の状況について説明した。(2、3、4、5、7、8、15、24、28、29面に関連、16、17面に特集)

この日は朝から県警や那覇市消防局などによる実況見分も始まった。出火原因の特定には至っていない。

正殿には、現存していない資料を再現した正殿の扁額「中山世土」「玉座」や「玉冠」のレプリカ(複製品)など6件7点が常設されていたが、正殿の全焼に伴い焼失したとみられる。南殿では原品の「大龍柱残欠」や「朝拝御規式模型」など4件4点、北殿では扁額「高=延薫」1点、書院・鎖之間(さすのま)で「虎之図」のレプリカなど2件2点をいずれも常設展示中だった。寄満(ゆいんち)多目的室では東京尚家資料など131件407点を収蔵していた。焼失した可能性が高いという。黄金御殿では組踊の初上演から300年を記念した特別展が行われていたが、焼失した可能性が高い。首里城施設内では火災時、展示中の資料も含め、県立埋蔵文化財センターや個人から借用した計9件14点も保管していた。

一方、収蔵庫は耐火性を持つ二重のドアがあるが、焼失を免れているか不明だ。南殿収蔵庫は、県指定有形文化財の絵画「白澤之図(はくたくのず)」など454件724点を収蔵している。寄満収蔵庫には、県指定有形文化財の工芸品「黒漆菊花鳥虫(くろうるしきっかちょうちゅう)七宝繋沈金食籠(しっぽうつなぎちんきんじきろう)」や「黒漆牡丹七宝繋沈金食籠(くろうるしぼたんしっぽうつなぎちんきんじきろう)」を含む248件351点を収蔵している。資料6件6点は首里城から貸し出していたため、無事だった。

※注:=は「片」の右に「肩」の「月」が「甫」

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2019.11.02 琉球新報 朝刊 29ページ

 

〈首里城焼失〉一面がれき撤去難航火元確認できず/火災1時間前巡回では異常なし

 

 

那覇市首里当蔵町の首里城正殿から10月31日未明に出火し、隣接する6棟が延焼した火事で、県警と那覇市消防局などは1日午前11時22分から、現場で実況見分を開始した。出火原因の特定には至っていない。2日午前10時からも実況見分を実施する。一方で正殿の熱感知センサーが作動する約1時間前に警備員が正殿内を巡回し、異常がなかったことが1日、分かった。(1面に関連)

初日の実況見分には県警と那覇市消防局、総務省消防庁、消防研究センター職員や管理者の沖縄美ら島財団職員ら100人以上が現場に出入りした。火元とみられる正殿北側の瓦を手渡しやバケツリレーで撤去する作業に終始した。しかし瓦は十分に撤去できず、火元の確認には至らなかった。

当日の状況については、沖縄美ら島財団が会見で明らかにした。正殿のほか隣接する7棟は10月31日午前1時5分に施錠され、電源も落とされていた。センサーが異常を知らせた同2時34分までの間に正殿内で発火したとみられる。

財団によると、10月30日は御庭で催される「首里城祭」などの準備のため、出演者やイベント業者らが城郭内に出入りしたが、31日午前1時5分に全員が退去した。警備員は同1時20分に正殿内などの巡回を実施。その際は異常は確認できなかった。

しかし同2時34分、正殿内のセンサーが反応。敷地内のモニター室にいた警備員が正殿北側のシャッターを開けると、煙が充満していた。警備員はいったん引き返し、消火器で対応したが火の勢いは収まらなかった。同40分に非常ベルが鳴り、同41分に警備会社を通じて119番通報した。

正殿内ではコンセント類はなく、夜間は照明も含めて全ての電源を落としていた。そのため正殿内に7台あった外部から電源を引いた防犯カメラには、視認できる映像が映っていなかったとしている。県警はカメラ映像の解析を進めている。

財団の花城良廣理事長は「今のところ、何が起こったかも判然としない。火元のないところに火が出た」と強調した。警備会社は本紙取材に、日中は60~70人、夜間は7~8人の警備態勢で対応していると説明した。担当者は「警備態勢は財団が示した仕様書通りに対応した」とした。

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2019.11.02 沖縄タイムス 朝刊 1ページ

 

所蔵421点焼失/琉球王国の美術工芸品/首里城火災 美ら島財団会見

 

 

首里城の正殿など7棟を焼失した火災で琉球王国時代の絵画、漆器、書跡、染織など沖縄美ら島財団の所蔵資料1510点のうち、3割近い421点が焼失したことが1日、分かった。2カ所の収蔵庫内にある1075点の被害状況は不明。県から運営を委託された指定管理者の同財団の花城良廣理事長らが首里城公園内で会見し、明らかにした。(2・3・9・12・25~27面に関連)

花城理事長は「近隣の方々、県民、国民、観光客の皆さまへご心配とご迷惑をお掛けしたことに深くおわび申し上げる」と謝罪した。

収蔵品は分散して保管。焼失したのは寄満(ゆいんち)多目的室に保管してあった尚家伝来の「雪中花鳥図」など407点と、扁額「中山世土」など正殿や南殿、北殿、書院鎖之間の常設展示14点。

南殿収蔵庫には県指定有形文化財「白澤之図」など724点、寄満収蔵庫には同文化財の「黒漆菊花鳥虫七宝繋沈金食籠」「黒漆牡丹七宝繋沈金食籠」や尚家伝来の刀剣「青貝巴紋散合口椿」など351点が保管されていた。両収蔵庫は耐火性があり、ドアは焼けていない。中の状況は確認できておらず、被害を受けた可能性がある。

また、火災発生時に延焼を防ぐ水のカーテン「ドレンチャー」が作動したことを確認。一方、警備員が正殿の周囲4カ所に設置された放水銃を使用しようとしたが火の回りが早く近づけず、防火設備が機能しなかったと明かした。

火元とみられる正殿では営業時間後から出火までに、イベント準備の業者ら5人が立ち入り、10月31{ヨ午前1時43分に警備員が施錠した。外部から侵入した形跡がなく、県警は放火の可能性は低いとみている。

 

一方、県警と消防は同日、首里城正殿を中心に焼け跡を実況見分した。

 

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2019.11.02 沖縄タイムス 朝刊 2ページ

 

スプリンクラー検討せず/会見で美ら島財団理事長/国・県・財団 定まらぬ責任

 

 

首里城の火災を受け、沖縄美ら島財団の花城良廣理事長は1日の記者会見で、スプリンクラーの必要性を問われ「設置義務があったかどうかは、私どもは関係しない」と述べた。その上で「県、国を含めて検討するところ」と述べ、財団を含めた三者で話し合うべき課題との認識を示した。火災を巡っては1日時点で出火原因が特定されておらず、責任の所在が定まっていない。

花城理事長は消火体制の妥当性を「(既存の)設備を前提に、県から指定管理を受けているので、これを最大限に活用して対処する」のが財団の立場だと説明するにとどめた。

首里城正殿などの有料施設は、2月に国から県へ管理が移管された。県も、本紙取材に「国からスプリンクラー設置の検討など、追加の防火設備の話はなかった」と説明。現段階では、スプリンクラーの設置を検討していない。

首里城の運営は、指定管理者の財団が担っている。県によると設備点検は、消防法に基づき財団が実施し、県へ報告している。

県によると「5月と7月に報告があり、いずれも異常は認められなかった」という。

防火訓練や消防計画の策定も財団が担い、県が確認することになっている。

県都市公園課の担当班には、機器の専門的知識を持つ、電気技師と機械技師が1人ずつ所属している。

県幹部は、出火原因が法的な不備や設備の点検不足などに該当しない不可抗力だった場合、責任の所在は「誰にもないのではないか」との認識を示した。

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2019.11.02 沖縄タイムス 朝刊 26ページ

 

業者 午前1時退出/財団「安全確認した」

 

 

沖縄美ら島財団の説明によると、首里城の火災発生前に、正殿や御庭で業者66人、財団3人の計69人が、イベント準備のために作業していた。約4時間半で撤収し、警備員が正殿で出火を発見する約1時間前の巡回では、正殿内に人がいないことを確認し、鍵を閉めたという。

首里城の有料施設の管理を国から県へ移管するまで、国は「深夜の設営を原則認めない」と規定。財団は、県への移管後も規定を変更していないと説明する。「原則なので安全を確認し、調整、協議しながらなるべく来館者に影響のない深夜の作業になった」と問題視しなかった。

財団によると、10月30日午後8時40分に「組踊上演300周年式典」や「国王・国妃出御」の準備作業を建物外の御庭で開始した。

同9時に業者3人が正殿内に入り、国王・国妃出御で使った道具の「扇」を所定の場所に戻し、5分後に退出。同9時半に財団職員1人が正殿内で紅白ロープを移動させ、5分後に退出した。31日午前1時5分に業者66人と財団3人が裏側ゲートから外に出たという。

同1時20分に警備員1人が正殿内を含め、巡回を始め、全てを施錠し、同1時43分に機械警備に切り替えた。同2時34分に機械警備警報が鳴り、警備員がモニター室で火災を確認した。

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2019.11.02 沖縄タイムス 朝刊 27ページ

 

「原因独自に検証」/沖縄美ら島財団 一問一答

 

 

沖縄美ら島財団の花城良廣理事長と記者団のやりとりは次の通り。

─災原因は何か。

「分からない。何が起きたのか全然分からない。火元のない場所で火が出た。われわれも独自に検証する必要があるが、本当に分からないのが正直なところ」

─2月に管理が国から県に移行された影響は。

「大きな変化はなく、ほぼ同じような形で指定管理をしている」

─機械警備発動から消防通報まで7分かかった。

「(距離などを考えると)決して遅くない。警備員が消防車などが入る入り口まで移動して案内もしており、最大限努力したのではという気はする」

─管理を任された財団としての責任はどう考える。

「初期消火がしっかりできなかったのは検証が必要だ。残念ながら全焼したことはいろいろ反省しなければいけない。職員の雇用問題もしっかり対処するのがわれわれの使命だと思う」

─夜間の火事を想定した訓練をしていたか。

「夜間だけを想定した訓練はない。放水銃の扱いなどは定期訓練しているので昼夜かかわらず対応できるが、熱で放水銃の所まで行けないという、その環境が想定外だった」

─放火などの事件性は排除できると考えるか。

「(2年前に上の毛公園で小火があったとして)排除はできないと思う。火の気がない所で起こった点も含め、これから究明されると考える」

 

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2019.11.02 沖縄タイムス 朝刊 27ページ

 

火勢強く放水銃使えず

 

 

首里城の防火体制の中心は、初期消火のための放水銃と延焼防止用に設置されたドレンチャー設備だった。だが今回は火の巡りが早く、警備員が正殿近くにたどり着けなかったため、設置された放水銃が使えない想定外の事態になった。

城内の放水銃は、警備員が最初に煙を確認した正殿の御庭も含めて4組が設置されていた。散水ヘッドから水を放射して延焼を防ぐドレンチャー74個も常設していた。他にも、消火器55台、屋内消火栓設備21組、屋外消火栓が5組。非常警報の設備などスピーカーが園内・管内に89個あり、排煙設備などもあった。

ただ、火災発生時に自動で作動する防火装置は延焼防止のドレンチャーだけで、残りは手動。城内で発生した火の勢いが強かったため、高熱で正殿付近に近づけず、初期消火のために設けられた放水銃や屋内消火栓も使えなかった。

沖縄美ら島財団の花城良廣理事長は「放水銃の場所まで行けないことは想定していなかった」と説明。

夜間の火災発生や防火体制について「残念ながら全焼してしまい反省しなければいけないところもある」と述べ、今後の検証が必要との考えを示した。火災保険には入っているという。

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2019.11.03 琉球新報 朝刊 1ページ

 

〈首里城焼失〉戸開放後 火勢増したか/県警、配電設備関係調べる/収蔵庫内焼失免れる

 

 

那覇市首里当蔵町の首里城火災で、正殿内の異常をセンサーが感知し、警備員が様子を見に北側のシャッターを開けた後に内部の火の勢いが強まった可能性があることが2日、関係者への取材で分かった。警備員は正殿内で煙の充満を確認。シャッターを開けたまま、正殿の南にある奉神門へ行って応援を呼び、消火器を取って5分後に戻った時には黒煙が出るなどして消火はできなかった。県警や那覇市消防局などは2日午前から、がれきの山と化した正殿付近で実況見分を実施した。出火原因の特定を急ぐ。

(2、5、26、27面に関連)

火元とみられる正殿の北側付近に配電設備があったことも関係者への取材で判明した。県警は正殿の防犯カメラで炎が吹き上がる様子を確認した。実況見分を進め、出火との関連を調べている。外部から侵入の形跡がないため、放火の可能性は低いとみている。

首里城を管理する一般財団法人「沖縄美ら島財団」は同日、県指定有形文化財の工芸品や絵画を含む計1075点が保管されている南殿と寄満(ゆいんち)の耐火性収蔵庫を開き、収蔵品保管ケースは焼失を免れたと明らかにした。ただ、寄満収蔵庫内の床はぬれた状態だったという。財団はこれらの搬出を始めており、今後、専門家とともに開封して収蔵品に損傷がないかを調べる。

シャッターを開けた際に火の勢いが強くなることについて、日本防火技術者協会理事の鈴木弘昭氏は「閉じている建物内では空気の動きが悪いが、開けると熱気流の交換が行われ燃えやすくなる。個人で防ぐことは難しいので早急な119番通報が重要だ」と指摘している。

実況見分は2日午前10時10分から午後5時ごろの間、約130人体制で実施し、正殿を中心に瓦の撤去などを行った。正殿の瓦などの撤去だけでも早くて数日かかる見込み。3日も午前10時から調査する。

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2019.11.03 琉球新報 朝刊 2ページ

 

<首里城再建の課題>2/法的な防火義務なく/既存消火設備、延焼防げず

 

 

1992年に国営公園として復元された首里城の主要施設。2000年に世界文化遺産に登録されたが、地下の遺構である国史跡「首里城跡」以外は復元施設で、重要文化財には該当しない。木造でありながら文化財保護法に基づく防火対策などは義務付けられていない。さらに、商業施設や宿泊施設にも当たらず、消防法によるスプリンクラー設置などの防火対策も対象外だった。

識者は「今回の火災を契機に施設利用者や周辺住民の安全を考え、議論する必要がある」と指摘する。

文化庁は今年9月、フランスの世界遺産ノートルダム寺院(大聖堂)の大火災を受けて、重要文化財などに指定された建物の防火対策指針をまとめた。文化庁は指針で、必要な消火設備の設置や、老朽化した設備の交換などを施設所有者らに求めたが、首里城は文化財保護法や消防法などの規制対象外。通知は法的拘束力は伴わなかった。

歴史的・文化的な価値を有し、観光地としても人気を誇る施設ながら、防火対策の規制対象からは外れていた格好だ。

 

夜間の出火想定外

火災原因の特定は時間を要している。首里城指定管理者の沖縄美ら島財団によると、出火場所とされる正殿は火災発生時、電源なども落とされ「火元はなかった」(花城良廣・沖縄美ら島財団理事長)。訪問客などがいない夜間に出火するという設定の消防訓練はこれまで実施しておらず、今回の火災は"想定外"だった。

首里城正殿には延焼防止のために屋根軒下などから水を流す「ドレンチャー」設備が復元当初から整備され、火災発生時も稼働していた。また、消火設備として放水銃も整備されていた。だが、初動対応に当たった警備員は火災の熱で放水銃の場所に近寄れないなど、既存設備では延焼を防げなかった。

1日の記者会見で防火体制について問われた花城理事長は「最大限、防火体制、マニュアルに準じてやってきた。それを踏まえて見直す必要がある。今回の事故を基に検証したい」と述べた。

 

相反する側面

課題も残る。最新の防火設備などを整備することで、施設訪問者らの安全確保や利便性向上にっなげることはできる。だが、現代的な設備を施設内に備えることは、施設の歴史的価値や復元の忠実性などを損なう可能性がある。

建てられた当初の姿や文化財としての価値を保つことは、施設の防災性や訪問者らの安全確保などと相反する側面もある。

県文化財保護審議会委員の豊見山和行琉大教授は「火災原因の特定が一番重要」とした上で「歴史的意義や希少性を保ちつつ、安全性や利便性をどう確保するかは議論が必要だ。今回の火災を教訓にした施設のあり方を考える必要がある」と指摘した。

(当間詩朗)

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2019.11.03 沖縄タイムス 朝刊 5ページ

 

[社説]首里城再建//検証作業が欠かせない

 

 

首里城の正殿などが焼失した火災からきょうで3日となる。沖縄の歴史と文化の象徴を失った衝撃はあまりに大きいが、悲しみが深い分、それを乗り越え、再建を求める声が日に日に高まっている。

玉城デニー知事は火災翌日、首相官邸に菅義偉官房長官を訪ね、早期再建に向けての支援を要請した。

県関係の国会議員10人も与野党の枠を超え、超党派で異例の要請を行った。

那覇市をはじめとする自治体も、ふるさと納税による支援金の受け付けを始めている。

動きは民間にも広がる。日本トランスオーシャン航空(JTA)などはマイルによる寄付を呼び掛ける。本社など県内8メディアは県民募金を共同でスタートさせた。

県内外に設置された募金箱には、再建を願って支援を申し出る人が途切れないという。

政府が「財政措置を含めて、やれることは全てやる」と異例のスピードで支援を約束したのは、首里城を心のよりどころとする県民の思いをくんでのことだと思う。観光資源としての重要性も強く意識してのことだ。

一日も早く再建してほしいという県民の気持ちは痛いほどよく分かる。支援の動きも心強い。

しかし再建に向けた機運の高まりと同時に忘れてはならないのは、沖縄戦をくぐり抜けた貴重な美術品や苦労してよみがえらせた文化遺産を一夜にして焼失させてしまったという事実だ。

 

  

 

県から首里城の運営を委託された「沖縄美ら島財団」の記者会見で、絵画や漆器など1500点以上の収蔵品のうち、少なくとも400点超が焼失したことが新たに判明した。その中には「雪中花鳥図」など尚家に関する資料が多く含まれている。

出火原因などの調査は県警と消防に任せるとしても、管理者としての県には、今回の火災をあらゆる面から検証し、県民に報告する義務がある。

そもそも首里城正殿などを管理する県と、運営を委託された指定管理者の美ら島財団との間で、どのような防火体制がとられていたのか。

初期消火のための放水銃が使えないという「想定外」はなぜ起こったのか。

詳細が分かっていない焼失美術工芸品の一覧と、その歴史的・文化的価値についても示さなければならない。

これを機に、県立博物館や那覇市歴史博物館など貴重な文化財を所蔵する施設の防火体制についても点検作業が必要だ。

 

  

 

玉城知事は復帰50年にあたる2022年までに再建計画を策定する考えを示している。

だがまず取り組まなければならないのは検証委員会の設置である。首里城の復元作業に深くかかわった有識者らをメンバーに、「なぜ守れなかったのか」を冷静かつ徹底的に議論してもらいたい。

検証委員会の報告を再建への一歩とし、再建への歩みを、沖縄の歴史を学び、文化を見つめ直す機会とすべきだ。

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2019.11.04 琉球新報 朝刊 1ページ

 

〈首里城焼失〉正殿北側で分電盤回収/県警、出火との関連調査/北東側から炎映像も

 

 

那覇市首里当蔵町の首里城火災で、県警と那覇市消防局は3日午前から3日目の実況見分を実施し、火元とみられる正殿北側から焼け焦げた大型の電気系統設備の一部を回収した。詳細な回収場所は不明。関係者によると設備は「分電盤」と呼ばれ、各階へ電気を配分する機械だという。また正殿裏手の御内原(おうちばら)エリアにある「女官居室」付近に設置された防犯カメラに、正殿北東側付近から炎が噴き出す様子が映っていたことが関係者への取材で分かった。県警はこれらの分析を進めるなど、出火原因との関連を慎重に調べている。(2、24、25面に関連、5面に県内全市町村長コメント)

県警と消防は、状態を確認しながら、がれきを御庭(うなー)へ運ぶ作業中に分電盤を発見し、数人がかりで運んだ。県警は外部の専門家にも協力を依頼し、分電盤を分析することも視野に入れる。実況見分は午前10時に開始し、午後5時に終了した。4日も午前10時から開始する。

防犯カメラについては、関係者によると、女官居室と呼ばれる建物周辺に設置されていた。正殿裏手に位置する御内原工リアが撮影範囲に入っており、火災時の様子が記録されていた。センサーが反応し、警報が鳴った午前2時34分以降、正殿北東側から煙が出た後、炎が噴き出す様子も映っていた。

警備員は正殿正面にある奉神門2階のモニター室から正殿に向かい、北側のシャッターを手動で開けて中に入った。入り口から階段を上って左に曲がろうとしたが、煙が充満していたため引き返した。その後、正殿内から出て、裏手も確認すると正殿北東側から煙が噴き出していた。モニター室に戻り監視カメラ映像を確認すると、同じ場所付近から炎が噴き出していた。

また、世界遺産である正殿地下の遺構の一部も3日までに確認された。現場を視察した大山孝夫那覇市議によると、遺構全体の状態は不明だが目視できた部分については大きく損傷したり形が崩れたりはしていないという。首里城公園を管理する沖縄美ら島財団は取材に対し、「現時点では遺構の状態は不明」とした。

同財団によると、県指定文化財を含む454件724点を収蔵する「南殿収蔵庫」内は外見上無事で、248件351点を収蔵する「寄満(ゆいんち)収蔵庫」は床は水にぬれた状態だった。

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2019.11.04 沖縄タイムス 朝刊 1ページ

 

分電盤か 県警が回収/首里城火災 不具合視野に捜査

 

 

正殿などが全焼した首里城火災で実況見分を進める那覇署対策本部は3日、火元とみられる正殿北側1階部分の焼け跡から分電盤とみられる焦げた電気設備を回収した。対策本部は火災発見当時の施錠状況や防犯カメラの解析から現時点で、外部侵入による事件性は低いとみており、電気系統の不具合も視野に捜査を進める。4日以降、回収した電気設備がショートを起こした可能性を含め火災との関連を詳しく調べる方針。(2・22・24・25面に関連)

対策本部は警備員の目撃証言や火災を探知した防犯センサーの位置から、発生元を正殿北側とみている。1日に始まった実況見分では北側を重点的に実施。3日は県警80人、消防50人の計130人態勢で見分し、午前に黒く焦げた分電盤とみられる設備を回収した。

火災は10月31日午前2時半ごろ発生。木造3階建ての正殿北側で熱を感知するセンサーが反応し、駆け付けた警備員が中に入ると、煙が充満していた。

関係者によると、防犯カメラは正殿外観を写しており、消防到着前、1階東側の外に向かって中から炎が噴き上がっている様子が記録されていた。

水の膜をつくり外部からの延焼を防ぐ「ドレンチャー」が作動していったん火の手が弱まったり、駆け付けた警備員が初期消火したりする様子も写っていた。

炎はコの字型で隣接する北殿や南殿に燃え移り、正殿、北殿、南殿が全焼。主要建造物計7棟が延焼した。発生から約11時間後に鎮火した。

専門家は木造の上、内部の仕切りが少なく広い空間がある正殿特有の構造が、火勢が強まる要因になったとの見方を強める。城内の建造物のほとんどに使用されていた特殊な塗料「桐油」は燃えやすい性質も持ち、延焼を誘因した可能性がある。

東京理科大の菅原進一名誉教授(建築防災学)は「壁などの仕切りが少なく、空間が大きいと火は一気に広がる」と指摘する。「木造の上、史料などの収容物があったとすれば、次々と燃えて、火を広げていっただろう」と推測した。

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2019.11.05 沖縄タイムス 朝刊1ページ

 

正殿内の火災写らず/首里城 防犯カメラ電源喪失/北側がれき撤去

 

 

那覇市の首里城火災で、火元とみられる正殿内にある防犯カメラの電源が、火災検知センサーの反応する直前に落ちていたことが4日、関係者への取材で分かった。電気系統に漏電やショートなどの不具合が起きた可能性もあるとみて、県警や消防が火災との関連を調べている。一方、この日も県警や消防による実況見分が110人態勢で続けられた。正殿北側のがれき撤去はほぼ終了し、5日以降は箇所を絞って調べる。(2・15・24・25面に関連)

首里城を管理・運営する沖縄美ら島財団によると、内部の映像は暗く、火災は写っていなかった。

市消防局によると、正殿内の熱を感知するセンサーは10月31日午前2時34分にアラームを発し、駆け付けた警備員が内部に煙が充満しているのを発見。その後、正殿の外にある防犯カメラで正殿内部から火の手が上がるのが確認された。

那覇署対策本部と市消防局は3日、正殿北側の焼け跡から分電盤とみられる焦げた機器を運び出し、詳しく調べている。

財団によると、出火元とみられる正殿内で過去に漏電など電気系統のトラブルはなく、10月の点検でも異常は確認されなかった。正殿では夜間、機械警備と防犯カメラ7台に供給する以外の全電源は落とした状態にしており、火災発生直前も同様の対応を取ったという。

那覇市消防局は4日の実況見分について「出火原因につながるようなものはなかった」とした。

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2019.11.06 琉球新報 朝刊 1ページ

 

〈首里城焼失〉電気系統から出火か/県警火元、正殿北東と断定/遺構大きな損傷なし

 

 

那覇市首里当蔵町の首里城正殿など主要7棟が焼失した10月31日未明の火災で、県警と那覇市消防局が特に焼損が激しい正殿北東を火元とほぼ断定したことが5日、関係者への取材で分かった。この周辺には焼け焦げた「分電盤」などがあり、出火原因は電気系統のトラブルによる可能性が高いとみている。県警と消防はこの日は北東側に絞って実況見分を実施した。同日の県議会文教厚生委員会(狩俣信子委員長)で、平敷昭人教育長は正殿地下にある世界遺産の遺構に大きな損傷はないと報告した。

(2、5、6、21、26、27面に関連)

関係者によると31日午前2時34分の出火直後、正殿内1階に設置されていた防犯カメラ3台と正殿裏の野外にあった防犯カメラ1台の計4台の電源が一斉に喪失した。4台は分電盤の隣にある映像送受信などをするための中継器「ハブ」でつながっていた。周辺で何らかの異常が発生したとみられる。

関係者によると火災発生前の31日午前1時5分ごろ、警備員が正殿のブレーカーを落としており、その後に稼働していた正殿内の電気機器は警備会社のセンサーと7台の防犯カメラだけだった。1階に3台、残り4台は2階に設置されていた。

警備会社のセンサーが異常を感知した同2時34分から約6分後、正殿内の別の警報器の非常ベルも鳴った。センサーが鳴る前、正殿北東側にある女官居室周辺に設置されていたカメラに白い発光体が写っているという。警備会社のセンサーの電源は防犯カメラとは別で、正殿正面の奉神門から引いており、火災発生後も一定時間は機能していたとみられる。

県警と消防は分電盤を開けて調査を実施したが、出火原因の特定には至っていない。

県議会文教厚生委では、正殿床下でガラス張りで公開されていた世界遺産の地下遺構の一部に火災によるがれきが入っていることが報告された。それ以外の遺構は約60センチの土が盛られており、損傷はないものとみられている。平敷教育長は「火災による影響は少ないだろう。文化庁の担当者も世界遺産の登録状況に影響する可能性はほとんどないとの見方を示した」と話した。

 

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2019.11.07 琉球新報 朝刊 26ページ

 

<追跡2019>首里城焼失1週間/証拠収集が難航/木造の正殿全て崩れる

 

 

那覇市首里当蔵町の首里城正殿など主要7棟が焼失した10月31日未明の火災が発生してから7日で1週間がたった。県警と那覇市消防局の実況見分で火元は正殿1階北東とほぼ断定した。周辺にあった「分電盤」などの電気系統設備から出火した可能性が高いとみられている。ただ、木造建築の正殿はほぼ焼け尽くされており証拠収集は難航している。最終的に原因断定に至るのかも不透明な状況だ。

捜査関係者は「本当に今は闇の中だ。鉄筋コンクリート造りなら焼けても形が残り、骨組みも落ちない。しかし、木造建築は燃えて全てが崩れる。配線も燃えている。苦しい闘いだ」と険しい表情を見せた。

火災は31日午前2時34分に正殿内の煙などを感知するセンサーが反応し、発生が確認された。県消防相互応援協定に基づき、近隣の8消防、車両18台、総勢74人が消火活動に参加し、約11時間後の午後1時半に鎮火した。

県警と消防、総務省消防研究センター職員などが2日から現場で実況見分を始めたが、4日までは正殿の瓦や灰を手作業で一つ一つ確認しながら運ぶ作業に終始した。本格的な実況見分に入ったのは5日のことだ。市消防局の関係者は「砂の中から金を探すようなイメージで疑わしい物を探している」と表現する。

関係者によると、正殿周辺に設置された防犯カメラの数は50台以上ある。県警はカメラの解析を続けるが、現時点では外部から何者かが侵入して放火した可能性は低い。

分電盤は各階や部屋に電気を配分する設備で、隣には映像送受信などをするハブ(中継機)があった。

正殿1階と野外の防犯カメラ4台は八ブとつながっていたが、同2時41分ごろに一斉に電源喪失した。その時間帯に周辺の電気系統設備が火災に包まれた可能性がある。しかし、捜査関係者によると、分電盤そのものにショート痕はなく、そこから出火した可能性は低いという。

日本防火技術者協会理事の鈴木弘昭氏は「あれだけの火事だ。奇跡的に証拠が燃え残っていて、相当な目利きな人がこれを分析する。これくらいしないと原因特定は難しいのではないか」と指摘した。(梅田正覚)

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2019.11.07 沖縄タイムス 朝刊 1ページ

 

正殿配線にショート痕/首里城火災/警備退室 出火5時間前

 

 

首里城の火災で那覇市消防局は6日、出火原因は正殿の電気系統が濃厚との見解を発表した。正殿の北東部周辺の配線にショート痕のようなものが複数見つかり、出火との関連を調べていることも、関係者への取材で分かった。(2・9・27・28・29面に関連、14面に特集)

正殿を含む主要施設7棟が焼けた惨事から7日で1週間。県警と消防は、出火前後に大きな光が点滅した正殿1階北東側を出火場所とほぼ断定し、原因特定に向け、関係者を立ち会わせて実況見分を続ける。

火元とみられる正殿内を警備員が最後に確認し、施錠と照明などの電源を切って退出した時間について、沖縄美ら島財団は1日の会見で出火確認の52分前としていたが、実際には約5時間前だったと訂正。出火までの5時間、正殿内を確認していないことになるが、財団の西銘宜孝事務局長は「監視モニターでは人の出入りはなかった」と不審者の侵入を否定した。

県警や管理する財団などによると、焼けたのは中庭(御庭)を四方に囲むように配置された正殿や北殿、南殿など。出火約1時間半前の10月31日午前1時すぎまで、中庭で伝統芸能「組踊」の会場設営が行われていたが、電源は正殿と向かい合う奉神門で取っていた。

県警は、正殿やその周辺にある防犯カメラの映像解析や関係者の聴取を進めた。出火前後、1階北東側で大きな光が点滅したのが分かり、県警はショートなど電気系統のトラプリレがなかったかどうか捜査している。

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2019.11.07 沖縄タイムス 朝刊 2ページ

 

責任所在 曖昧なまま/首里城火災 国・県と財団/3者 会見でも歯切れ悪く

 

 

首里城火災の発生から1週間。玉城デニー知事は沖縄の本土復帰50周年を迎える2022年までの再建計画策定を明言、安倍晋三首相も「必要な財源を含め、政府一丸となって全力で取り組む」と号令をかけた。玉城知事が「県民のアイデンティティーのよりどころ」と表現する首里城の再建には、国内外から多くの寄付が集まり始めたが、火災や延焼の責任の所在は、あいまいなままだ。(政経部・福元大輔)=1面参照

国と県、沖縄美ら島財団が初めて合同で記者会見を開いた6日。「火災の責任はどこにあるのか」。厳しい質問が飛んだ。

最初にマイクを握った財団の西銘宜孝事務局長は「公園を安全に運営し、快適に過ごしていただきたい。現場に接する(財団として)危機管理や事故対応を提案していくことが大切」と責任には触れず、歯切れの悪い答え。

国営沖縄記念公園事務所の鈴木武彦所長は「消防、警察の検証結果を踏まえ、再発防止に努める」、県土木建築部の宜保勝参事は「防火設備は法令を満たしている。防火消防体制も(国から移管される前と)同様」と、責任の所在は不明のままだった。

首里城は国が所有し、2月から県が有料区域を管理。沖縄美ら島財団は、1月まで国、2月から県に指定管理者として、管理、運営を委託されている。

玉城知事は火災発生直後、地域交流拡大のために訪れていた韓国から急きょ沖縄に戻った。異例の対策本部を設置し、記者会見では「管理責任を負う者として、いかんともしがたい状況になってしまった」と一定の責任を認めた。県はその後、国と同様に管理してきたことから、県への移管と今回の火災は「無関係」と強調している。

財団は火災発生後に、警備員が正殿北側のシャッターを開けたことで火の勢いが増したこと、高温のため放水銃に近づけなかったことなど初期消火の不備を認めている。

防火設備は国や県が整備する前提で、定期的に防災訓練を実施している。10月15日と18日には電気系統を点検し、異常がなかったことから「電気系統のトラブルは考えにくい」と繰り返すなど、設備の点検や運用に問題はなかったとの見解だ。

国は、正殿の「厳正な復元」を目指した経緯から、内部から自動消火する設備「スプリンクラー」の設置を見送ったが、消防法などの定めのない放水銃を追加するなど「法令を上回る対策」を講じてきたとの認識だ。

首里城再建に国民の理解や協力を広げるには、出火原因を特定し、国、県、財団で(1)なぜ火災が起きたのか(2)延焼を防げなかったのか(3)責任はどこにあるのか一を明確にする必要がありそうだ。

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2019.11.07 沖縄タイムス 朝刊 28ページ

 

[失われた象徴首里城炎上](6)/スプリンクラー未設置/夜の屋内火災「想定外」/「厳正な復元目指した」

 

 

「国が整備した施設で、消火設備は、きちんとしているはずなのに」。10月31日、午前7時半すぎ、県幹部は、県庁で首里城の正殿が焼き尽くされていくテレビニュースの映像を横目に、うなだれた。別の県幹部は、「今回の火災は、想定外だった」と声を落とした。閉館後の正殿のように、人がいなくても火災を早期に感知し、自動的に消火するスプリンクラーは、設置されていなかった。

首里城を整備した所有者の国によると、「正殿復元はできるだけ昔使われた材料と伝統的な工法を用いて、往時の姿に戻していく」考えが基本にあった。法律を順守し、「厳正な復元を目指した」とスプリンクラーが設置されなかった経緯を説明。消火設備の妥当性については、「法律を順守した」との立場だ。

新たな設備の設置や、100万円以上の修繕は、所有者の国が担う。

今年2月、国から首里城正殿などの有料施設の管理を移管された県は、「既存施設の管理を移管された」と主張。県から指定管理を受け、実際の管理運営を担う沖縄美ら島財団は、「(既存の)設備を前提に、指定管理を受けているので、これを最大限に活用して対処する」との立場。県も財団も、スプリンクラーなど、屋内の出火に対応する自動消火設備の検討はしてこなかった。

文化庁は、今年4月、パリのノートルダム寺院火災の発生後、文化財の防火対策の徹底と点検を呼び掛けていた。通知の対象は国宝と重要文化財の建造物で、首里城は対象外だった。

木造建築物への防火意識が高まる中でも、国や県は、体制の見直しを行っていない。県幹部は「大家さんは国だ」と例え、「スプリンクラーなど、勝手には新しい設備は付けられない」と、所有者と管理者の関係性を説明する。

設備の新設では大きな権限を持つ国だが、防火訓練や消防計画の策定は、財団が行い、県が確認している。財団は、夜間を想定した訓練をこれまでに実施していない。県幹部は「消防署に計画を出し、消防隊員立ち会いで訓練を実施しており、これまでに特段の指摘は受けていない」とする。県も、財団に対し、夜間訓練の実施を指導しておらず、閉館後の火災は、盲点だった。(政経部・屋宜菜々子)

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2019.11.07 沖縄タイムス 朝刊 28ページ

 

県警 火元絞り捜査/電気系統究明が鍵

 

 

首里城正殿などが全焼した火災から7日で1週間となった。県警と那覇市消防局は目撃情報などから正殿内の火元をおおよそ特定し、実況見分を続けるが出火原因を突き止めることができていない。防犯カメラの解析が進む中で市消防局は6日、「電気系統の原因が有力」と発表した。捜査の焦点は何が、どのように電気系統の不具合を引き起こしたのかになりそうだ。

県警は発生当初、部外者の侵入、放火の可能性を含めて捜査した。首里城敷地内外の膨大な防犯カメラ映像を基に解析を進め、不審者の出入りが無いことを確認。「事件性は考えにくい」との見解を示す。

電気系統の不具合によって火災が起きた可能性としては、熱感知センサー作動直前に正殿内の防犯カメラ7台の電源が落ちていること、カメラが正殿内部で光が点滅し、その後煙が出ている様子を捉えていることなどが挙げられる。映像を確認した関係者への取材で判明した。

出火元とみられる正殿北東側には電灯盤が設置されており、焼け跡から黒く焦げた状態で見っかった。

広範囲の焼失面積と、膨大ながれきが残る現場の状況から、那覇署は「出火原因の特定にはしばらく時間がかかる」とみる。正殿には赤瓦5万5千枚が使われており、県警と消防は一つ一つを手作業で移動させた後、本格的な検証作業をスタートさせている。

捜査関係者は「日本国内だけでなく世界もなぜ火事になったのか注目している。県民の思いに応えるためにも何としても原因を突き止める」と使命感を見せた。

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2019.11.07 沖縄タイムス 朝刊 29ページ

 

会見 説明ちぐはぐ/正殿の退出時間訂正/国・県・財団/消火設備は「法令順守」

 

 

首里城火災を受け、設置者の国、管理者の県、運営管理する沖縄美ら島財団の3者が6日、初めてそろって会見した。財団側は、出火元の正殿から最後に関係者が退出した時間を当初の説明から訂正するなどちぐはぐな回答。一方、高台にあり二重の城壁に囲まれ、消防による消火が困難を極めた首里城の屋内には自動消火設備がなかった。妥当性を問われても、国側は「法令を順守した」との見解に終始した。

(1面参照)

火災の経緯で、配布資料には「31日午前1時20分警備員巡回開始(城郭内)」と明記。この時間、警備員は正殿を巡回しておらず、最後の退出は財団職員の「30日午後9時35分」で、火災に気付くまで約5時間の空白があった。しかし1日の財団の会見では、警備員は午前1時20分に正殿を巡回し、空白の時間は50分との説明だった。

「前回の説明の根拠は何か」。報道陣から質問が集中し、財団の西銘宜孝事務局長は「勘違いがあった」と釈明。警報発動で駆け付けた警備員が開けたシャッターを閉めたのかを問われ、当初は閉めたとの認識を示すも、「はっきり分からない」と修正するなど、見解は二転三転した。

沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所の鈴木武彦事務所長は、過去に屋内の自動消火設備の設置について「議論はあったと思う」と述べた。往時の厳正な復元を目指した結果と説明したが、正殿内には往時にはない車いすの昇降設備はあった。

約2時間の会見は国側が打ち切るように終了した。

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2019.11.08 琉球新報 朝刊 1ページ

 

〈首里城焼失〉コード 溶けた痕30カ所/正殿北東の電気設備

 

 

那覇市首里当蔵町の首里城正殿など主要7棟が焼失した火災で、那覇市消防局は7日、市銘苅の同消防局で記者会見した。電気系統設備が最も集中している正殿北東の部屋が出火場所とみており、その部屋の分電盤の床下配線と、分電盤側面のコンセントに取り付けられていた延長コードが見つかった。その両方に、溶融痕があったことを明らかにした。今後、消防研究センター(東京都)で出火原因との関連を鑑定する。一方、延長コードは今年2月から正殿内に取り付けられていたことも関係者への取材で分かった。(2、5、27、32、33面に関連)

市消防によると、木造の正殿は燃え方が激しく、火の巡り方の検証が困難という。北東の部屋で火災原因の特定につながる唯一の痕跡は床下の配線と延長コードの2点だけだった。

溶融痕は周辺の火災熱によって配線の断面が溶けて球形上の塊ができるものだが、機器が出火した際にできる短絡痕である可能性もあるとした上で、山城達予防課長は「出火原因を特定する物は出てきていない。今の状況から特定は非常に困難だ」と調査の長期化も予想されると説明した。

市消防によると、床下配線には1カ所の熔融痕が確認された。火災前は3~4メートルの1本のコードだったとみられる延長コードは、焼けて数センチごとの細切れの状態で見つかった。30カ所以上の熔融痕が確認された。

当時、正殿内の照明などへ配電するブレーカーは落ちていたが、延長コード側のブレーカーは通電していた。延長コードには二つの発光ダイオード(LED)ライトが接続されていた。関係者によると、延長コードは国から県に管理が移行した今年2月以降に設置。同月に正殿裏手に位置する御内原工リアが開園し、正殿内の順路が変更されたため、足元を照らすための措置だったという。

また、火災発生当時の様子を正殿外の2台の防犯カメラがとらえていたことも判明した。1台は正殿の北東側にある「女官居室」周辺に設置され、火災直前に白い発光体が映っていた。もう1台は正殿裏側の「世誇殿」周辺のカメラで、出火直後に正殿から炎が吹き上がる様子が映っていたという。

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2019.11.08 琉球新報 朝刊 33ページ

 

〈首里城焼失〉続く究明慎重作業/配線接触で火花か/消防会見溶けたコード詳細分析

 

 

首里城正殿など主要7棟を焼失した火事から1週間がたち、火災時の城郭内の様子が徐々に明らかになってきた。那覇市消防局は7日午後に開いた会見で、正殿北東にあった「分電盤」からつながる延長コードに「溶融痕」という焼けて溶けた痕が30カ所以上見つかったと発表した。火災原因につながるショートを起こした痕跡を示す「短絡痕」だった可能性もあり、同局が火災原因との因果関係を慎重に調べている。(1面に関連)

延長コードは正殿の北東側から発見された。市消防局の山城達予防課長は「常時電源が通っている状態だった」としており、正殿内に設置されていたLEDの照明器具の電源として利用されていたという。

市消防局によると、延長コードは正殿北側にある分電盤側面のコンセントにつながっており、このコンセントは分電盤から電気が供給されるようになっていた。コードには30カ所以上の焼けて溶けた溶融痕と呼ばれる痕跡があった。

首里城を管理・運営する沖縄美ら島財団や県などが行ったこれまでの会見では、このケーブルの存在について明らかにしていなかったが、山城予防課長は溶融痕について「配線同士が接触してスパークした結果生じる短絡痕だった可能性がある」と指摘。「火災原因の特定につながっていくと思う」として、今後詳しい分析を進めると明言した。

日本防火技術者協会の鈴木弘昭理事によると、溶融痕は火災熱によって生じるのに対し、短絡痕はショートを起こして発火した痕跡であるため、火災原因になり得るという。

鈴木理事は、短絡痕が原因となる火災のメカニズムについて「コードの内部の電線を損傷する『半断線』を起こすと、損傷部分では電気抵抗が大きくなるため、熱が生じて電線を覆う被覆材が溶ける。そのために隣り合う配線同士が接触し、ショートして発火の危険性が高まる」と話した。

 

〈用語〉溶融痕と短絡痕

溶融痕は周辺の火災熱によって配線の銅線が切れ、断面部が溶けて球形状の塊ができる現象のこと。短絡痕はショート痕とも呼ばれ、何らかの原因でむき出しになった電気配線が接触して火花が発生し、球形状の塊ができる現象のこと。短絡痕は火元の特定につながることが多い。

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2019.11.08 沖縄タイムス 朝刊 1ページ

 

配線に破断30カ所/火元調査 一部ショート痕か

 

 

正殿などが全焼した首里城火災で、那覇市消防局は火元とみられる正殿北東側の電気配線にショート痕の可能性がある破断が見つかったものの、損傷が激しく「原因特定は非常に困難」との見方を示した。調査の長期化も予想される。一方、分電(電灯)盤と照明器具を結ぶ延長コードが、出火時刻に通電状態だったことも分かった。首里城を管理する沖縄美ら島財団は火災発生前日の10月30日午後9時半ごろに、防犯カメラなど警備設備以外の電源は全て自動で落ちたと説明していた。

市消防局によると、分電盤から半径4~5メートルの範囲の電気配線に、熱で溶けた30カ所の破断(溶融痕)が見つかった。このうち一部は、ショートで起きた可能性があるという。専門機関に鑑定を依頼する方針。

ショートが発生する要因としては、過剰に電流が流れる過電流や、ネズミなどの小動物が配線をかじるケースが考えられるという。しかし発生当時に過電流が発生するような電気使用はなく、小動物の死骸もこれまで見つかっていない。

消防は当面、火元とみられる箇所を集中的に調べる。

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2019.11.08 沖縄タイムス 朝刊 27ページ

 

出火手掛かり ほぼ焼失/首里城火災 金属溶け 木材は灰/破断配線「唯一の痕跡」

 

 

首里城火災で那覇市消防局は7日、電気系統の不具合が出火原因の可能性が高いとの見立てを示した。しかし未曽有の大火に包まれた現場は「灰の中で発掘作業をしているような状況」。手掛かりはほとんど焼失しており、調査は難航している。(1面関連)

現場を統括する山城達予防課長は「早い段階で消防隊が入れば、木造でも一部は残る。全部燃え尽きるのは経験がない」と火災の激しさを強調する。

通常は残った木片などから火の燃え方が分かるが、灰しかなく判別できないほど。見つかった分電(電灯)盤も、金属部分が溶け「周囲の熱が千度ほどに上がっていたのでは」と推測する。

火元とみられる正殿北東では、数センチ単位で細かく破断(溶融)した市販の延長コードが見つかった。消防局は「出火原因特定に至る可能性の高い、唯一といっていい痕跡」とみる。

消防局によると、延長コードには室内用の照明スタンド2器がつながれ、通電状態にあった。点灯していたかは分かっていない。

ただ、延長コードが出火元になった可能性について、消防局幹部は懐疑的だ。正殿の外の防犯カメラには出火時刻前後に大きな光が点滅した様子が写っており、「延長コード程度のショートで発生する光とは考えにくい」と話す。

同幹部によると、大きな光が出るとすれば、奉神門側の配電盤と正殿をっないで強い電流が流れる配線部分(1次配線)の不具合。そこでも破断が確認された。ただ、火災によるものなのか、ショートによるものなのかは「目視では区別がつかない」という。

「出火原因が特定できるとすれば、配線の溶融箇所の鑑定のみ」と市消防局。しかしショート痕との判定が出たとしても、それがなぜ起きたのか、「真の原因」をうかがわせるような材料は見つかっていない。

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2019.11.09 琉球新報 朝刊 17ページ

 

〈首里城焼失〉文化財会見/収蔵品約500点焼失

 

 

那覇市首里当蔵町の首里城正殿など主要7棟が焼失した10月31日未明の火災から7日で1週間を迎えた。県の宜保勝土木建築部参事、沖縄総合事務局・国営沖縄記念公園事務所の鈴木武彦所長、沖縄美ら島財団の西銘宜孝事務局長が6日、記者会見し、首里城焼失後の内部を撮影した写真を初めて公開。屋内の様子や文化財の焼失などについて報告した。約2時間にわたった会見での報告や記者とのやりとりについて文化財に関わる部分を抜粋して紹介する。(1面に関連)

 

【県指定有形文化財】

─県指定有形文化財の「白澤之図(はくたくのず)」「黒漆菊花鳥虫七宝繋沈金食籠(くろうるしきっかちょうちゅうしっぽうつなぎちんきんじきろう)」「黒漆牡丹七宝繋沈金食籠(くろうるしぼたんしっぽうつなぎちんきんじきろう)」の状況は。

西銘氏3点とも現存を確認した。「白澤之図」は焼け跡などは認められないが状態は確認中。「黒漆菊花鳥虫七宝繋沈金食籠」と「黒漆牡丹七宝繋沈金食籠」は焼け跡はないが一部水漏れの形跡がある。熱による変化の可能性はある。包んでいる紙がくっついた状態で、詳しくは調査しないと分からない。

─修復作業も必要か。

西銘氏どのような修復が必要か損傷具合を調べている。

 

【その他の収蔵品】

西銘氏南殿の収蔵庫は耐火性があり725点全てを回収し現存を確認した。状態は確認中だが、焼け跡などは認められない。全て箱の状態なので随時開封し中身を確認する。

寄満(ゆいんち)多目的室は近世以降の美術工芸品407点と寄託資料1点の408点を収蔵していた。一時保管していた「雪中花鳥図」などは所在確認できず、焼失の可能性が高い。陶器類は破片が残存する。

正殿、北殿、書院・鎖之間(さすのま)の展示品は所在確認ができておらず焼失した可能性が高い。企画展として組踊展の展示をしていた。南殿では「江戸上り行列図」など2点を焼失。「阿摩和利衣装(頭巾)」は半焼。「朱緑漆山水楼閣人物箔絵堤重(しゅりょくしつさんすいろうかくじんぶっはくえさげじゅう)」など13点は回収したが状態は確認している。

黄金御殿では「中山伝信録(ちゅうざんでんしんろく)」(初版本)など26点を焼失した。総計で1525点あり、寄託資料1点、借用資料14点を除く、残り1510点が財団の所有。おおむね千点ほど運び出しており、残りは焼失の可能性がある。

 

【遺構】

─遺構の状況は。

西銘氏消防や警察が調査しており正確に把握できていない。

─がれきが挟まっている部分があるのか。

西銘氏文化庁を含めて調査する。知見はない。

─がれきが挟まっていた遺構の場所と範囲は。

西銘氏正殿の南側。範囲は調査しておらず不明。

 

【被害額】

─収蔵品の被害金額は。

西銘氏全て梱包されている状態なので一個ずつあけて損傷状況を調査する。最終的な結果が出るのはまだまだ。

 

【再建】

─再建までに少なくても何年かかると考えるか。

鈴木氏焼失した正殿などの主要な施設の施工実績は事業着手から竣工まで約8年ぐらい。首里城の最も中心となる正殿で建物を支える黒い柱はヒノキで100本程度使われている。材料が現在手に入りにくいものもあると聞く。技術的な課題の検討や材料が手に入るのかどうかの調査も必要。再建へのスケジュールも早急に詰めたい。

─再建費用はどれくらいと考えるか。

鈴木氏当時の建設費用は約73億円だが、20年以上たっている。資材の入手の困難性を含めると価格がどれぐらいになるのか、技術に対してどの程度の値段がつくのか、現時点では分からない。費用の見込みは課題に取り組む中で分かってくるものだと思う。

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2019.11.12 沖縄タイムス 朝刊 1ページ

 

首里城評価額100億円/損害保険 被害の7棟9施設/財団従業員の雇用継続

 

 

首里城火災で、全焼の正殿など被害に遭った7棟9施設について、損害保険の評価額が100億3500万円に上ることが11日、分かった。県議会(新里米吉議長)の全議員対象の説明会で、首里城を管理運営する沖縄美ら島財団の担当者が明らかにした。財団が年間2940万円を支払っている保険の支払限度額は70億円で「保険会社が現地を調査し、査定する。評価額は100億円だが、支払額が70億円を上回ることはない」と答えた。(2・9・12・20・21・25・26・27面に関連)

建物の評価額は、保険料を決めるために建物の価値を算出したもの。9施設の当時の建設費は正殿で33億円、南殿、北殿など3施設で21億円、黄金御殿など5施設で19億円の計73億円だった。

財団の花城良廣理事長は、財団の所有する琉球王国時代の美術工芸品1510点の収集費として、寄付などを元手とする「首里城基金」から約16億円を支出したと明かした。少なくとも431点を焼失した可能性があり、被害状況を調査しているという。

再建後の所蔵物の管理について、財団の担当者は「園外での収蔵を含め、相談したい」と述べ、建物火災による危険を回避する必要性を強調した。

いずれも比嘉京子氏(社民・社大・結)の質問。

花城理事長は、首里城公園内の財団従業員147人のうち、被災した有料区域内で働いていたのは約80人で、公園内の別の施設に配置転換し、雇用の継続を維持していくと強調した。

県の上原国定土木建築部長は「安全性が確保できれば、城郭内の再建状況も県民や観光客に見ていただくべきだという話もある。そういった取り組みもしながら、雇用を確保する」と語った。比嘉瑞己氏(共産)の質問に答えた。

建物内のスプリンクラー設置で、玉城謙都市公園課長は「スプリンクラーの設置を含め、見直すべきは見直していく」と答えた。

玉城課長は県から国へ首里城に関する使用料を「年間2億3千万円、四半期ごとに支払う」と説明。有料区域の施設が焼失し、収入に影響が出ることに「使用料の減額を求め、国が認めれば、手続き後、減免できると規定されている」と、適切に対応する考えを示した。いずれも新垣清涼氏(おきなわ)の質問。

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2019.11.20 琉球新報 朝刊 9ページ

 

首里城焼失一文化財防火の現状と課題/内部出火、手薄な対策/設備、体制再検証の契機に

 

 

10月31日未明に発生した首里城火災では、正殿など主要な建造物7棟が焼けた。火災時に建造物内部にあった美術工芸品など約1500点のうち、約500点が焼失した。再建に向けては、どのような防火対策をするのかも重要な議論の一つとなりそうだ。さらに今回の火災は首里城以外にも、県内各地で歴史的な建造物や収蔵品の保護対策に取り組む自治体や博物館などにとっても、改めて防火対策や文化財保護の体制を点検し直すきっかけにもなっている。(1面に関連)

 

弱点

1992年に復元した首里城の正殿など主な建物は、防火設備としてドレンチャーや放水銃などを設置している。設計に携わった関係者らによると、復元当時の文化財保護行政の基準に基づき、主に外部からの延焼を防ぐために建物全体を水の膜で包むことを想定していた。スプリンクラーは誤作動した際に収蔵品を傷めることが懸念されたため、設置しなかった。

一方、今回の首里城火災は、正殿の内部から出火したとみられている。那覇市消防局は、電気系統の設備が集中している正殿北東の部屋が出火場所との見解を示す。分電盤の床下配線などに溶融痕があったという。外部からの出火への対応に比べ、内部からの出火への備えは弱い面があったことは否めない。

4月に発生したフランスのノートルダム大聖堂の火災を受け、文化庁は国宝や重要文化財の防火設備について緊急に調査した。調査を踏まえ、9月には国宝や重要文化財の防火対策ガイドラインをまとめた。防火策として、電気配線や漏電、加熱による出火がないように整然と配置されているかを点検する内容も盛り込まれている。全国各地で行われてきた従来の文化財防火策について文化庁文化資源活用課の担当者は「内部出火に対応する設備が手薄だったのは事実」と認め、ガイドラインに沿って対策を強化するよう各自治体などへ求めている。

県内で国宝や国の重要文化財に指定されている建造物は計23件あり、このうち中村家住宅(北中城村)や上江洲家住宅(久米島町)など9件が木造だ。毎年1月26日の文化財防火デーには各自治体で防火訓練が行われる。県教育庁文化財課の宮平勝史指導主事は各文化財の建造物について「内部では火を使わないことが前提だ。展示の照明などのために電気を使っているが、定期点検をしないといけない」と指摘する。

 

収蔵品の保護

今回の火災では、建物内部にあった収蔵品なども約500点が焼失した。貴重な資料を所蔵する県内の博物館、資料館でも、防火対策を再確認する契機となっている。

国宝の「玉冠(ぎょくかん)」をはじめ、貴重な資料を収蔵している那覇市歴史博物館でも、消火設備を再点検した。同館は、消火の効果が強く、文化財への影響は少ない「ハロゲン化物消火設備」を特に貴重な展示品がある特別展示室や収蔵庫に設置している。スプリンクラーは、誤作動で収蔵品を傷めてしまう懸念があり、特に貴重な収蔵品がある収蔵庫や特別展示室には設置していない。常設展示室などには火災感知器やスプリンクラーなどを設置し観覧者を避難・誘導し、消火設備を起動させる動きなどを確認している。

那覇市久茂地の「パレットくもじ」4階にある同館は、同じ建物の各階に商業施設が入居しており、他の博物館とは異なる状況がある。もし別の階で火災が発生した時、展示中の資料を安全な場所へ移動させる時間的な猶予があるのかなど、火災の状況によって難しい判断に迫られることも想定される。那覇市文化財課の末吉正睦課長や外間政明学芸員は「館内に職員が少ない時に火災が発生した場合にどう対応するのかも課題だ。文化庁や専門家の考えを聞きながら検討していく」と話し、あらゆる事態を想定し対策を確認している。

首里城の再建へ向けても、外部・内部からの出火や自然災害も含め、どう備えるのか多角的な議論が必要だろう。

県教育庁文化財課の宮平指導主事は「文化財は多くの人に見て触れてもらうのが前提だが、どう保護していくかの両方を考えないといけない」と難しさを語る。首里城火災からどのような教訓を学ぶか。消火設備などハード面と、警備や火災・災害発生時の動き方などソフト面の両面を再検証する必要がありそうだ。

(文化部・古堅一樹)

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2019.11.23 琉球新報 朝刊 2ページ

 

〈首里城焼失〉再建、木造で検討/県と財団、県議へ説明

 

 

謝花喜一郎副知事は22日の県議会(新里米吉議長)の首里城火災に関する説明会で、焼失した首里城について木造で再建することを検討していると明らかにした。謝花副知事は「復元にかけたさまざまなデータは残っていると聞いている。100%復元できる」と述べ、焼失前と同じ木造での復元かどうかについて「私どももそのように考えている」とした。(1面に関連)

議会では県の担当部局や指定管理者の沖縄美ら島財団が出席し、首里城火災の状況や文化財の被害状況を報告した。

火災後、首里城を訪れる観光客が減少していることについて問われ、上原国定土木建築部長は「一日も早く開園区域を広げられるようにしたい」とし、開園に向けた整備を進める考えを示した。いずれも渡久地修氏(共産)への答弁。

首里城の火災が鎮火した後、午後2時半に県が首里城火災対策等本部を設置したことについて、議員からは鎮火してからでは遅いと非難の声が上がった。

「県はいち早く対策本部を立ち上げ被害の拡大を防ぐべきだった」との指摘に、謝花副知事は「災害対策本部の設置には被害世帯数などの基準がある。午前3時43分に火災の報告を受けて議論した結果、対策本部の設置には該当しない判断になった」と説明。「一方で首里城が県民の心のよりどころであることを勘案し、早期の対応を行うべきだと立ち上げた。決して災害を軽視したことはない」と述べた。

自衛隊の災害派遣は対策本部で意思決定をすることになっているが、県は対策本部設置前に今回の火災におけるヘリでの空中消火活動は困難だと判断し要請を行わなかった。

これについて池田竹州知事公室長は「100メートル以上の火災旋風が生じていることを消防本部から聞き、空中消火は難しいということを自衛隊に確認している。総合的に法令規則にのっとって判断した」と説明した。いずれも照屋守之氏(自民)への答弁。

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2019.11.30 琉球新報 朝刊 1ページ

 

〈首里城焼失〉首里城焼失1カ月/放水銃1基使えず/消火活動時イベント舞台も妨げ

 

 

那覇市首里当蔵町の首里城で正殿など主要7棟が焼失した火災で、正殿周辺に設置された消火設備「放水銃」を消防隊員が使用しようとしたが、正殿裏手の1基の収納ぶたが開かずに使用できない状態だったことが29日、分かった。火災発生から1カ月を前に、那覇市消防局が同日開示した当日の活動報告書で明らかになった。(2、3、5、15、23、25、26、27面に関連、主要面に県民の声)

さらに正殿正面の他の2基の放水銃は使用できたが、火災翌日に予定されていたイベント用舞台が放水を妨げ、一時的に消火活動の支障となったことも判明。厳しい状況下で消防隊員らが消火活動に当たった実態が浮かび上がった。

10月31日の火災から1カ月が経過するが、現段階で出火原因は特定されていない。県警は電気系統設備が集中し、火元として有力な正殿北東側から見つかった金属類の鑑定を科学捜査研究所で続けている。

放水銃は正殿外部の初期消火や延焼防止のために設置され、火災発生時に手動で正殿の屋根上部まで放水できる。北側、東側にそれぞれ1基ずつと正面の御庭に2基の計4基設置されていた。過去には南側にもう1基あったが、2013年に国が撤去した。火災発生後、城内の警備員も使用を試みたが、火の手が強く使用できなかった。

活動報告書によると、119番通報があった10月31日午前2時41分から17分後に活動を開始した国場小隊は、正殿裏手の東側に設置された放水銃を使用しようとしたが「収納ぶたが固定され開かない」状況に見舞われた。

通報から15分後に現場で活動した西高度救助第1小隊は正殿正面の2基を使って放水したが、「舞台装置が放水銃正面に位置し、注水位置が限定的」になった。このため隊員が舞台を壊し放水したが、十数分後に急に放水量が低下した。「正殿への有効注水は不可となり、正殿正面の火勢は急にいきおいを増し予想を上回る状態で延焼拡大した」と記されている。正殿北東側の放水銃は使用された。

また報告書には屋内外の消火栓を使用したが水圧が下がり、一時使用できなかったことも記されていた。

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2019.11.30 沖縄タイムス 朝刊 1ページ

 

実況見分 延べ800人投入/県警と消防 回収物鑑定に時間

 

 

首里城火災発生から1カ月。出火原因の究明に向け実況見分を続ける県警と那覇市消防局は、これまで延べ800人(消防472人、県警約360人)を現場へ投入してきた。「9割以上が灰」(消防関係者)と化した中でめぼしい物的証拠は残っておらず、回収物の鑑定に時間を要している。捜査関係者は、出火要因の可能性として電気系統のトラブルを挙げる一方、「人的要因の可能性もゼロではない」としている。

沖縄美ら島財団など関係者約50人への聴取と、首里城公園内約50台と周辺の防犯カメラの解析から、捜査1課は「外部侵入による可能性は低い」とする。

実況見分は順次、エリアを広げて実施している。消防によると、正殿北側工リアを12分割して番号を振り、各エリアの灰やがれきを同じくエリア別に番号を振った御庭(うなー)に移動。灰をふるいにかけて微細な資料の選別収集を続けている。

消防関係者によると、現在12エリアのうち8エリアで見分を終了。残り4エリアも順次実施する予定だ。

回収物の鑑定は県警科学捜査研究所が現在続けているが、県警によると今後県外の専門機関に委託する可能性もある。

 

きょうから一部利用区域を拡大

所蔵品の確認続く

 

沖縄美ら島財団は29日夜、首里城公園の利用区域について30日午前から一部拡大すると発表した。

新たに利用できるようになるのは木曳門の手前までの区域と、上の毛公園から久慶門下までの園路。同財団は「国や県と協議して徐々に開放する範囲を広げる」としている。

所蔵する1510点の美術工芸品の状態の確認作業の完了めどは立っていない。財団関係者は29日、「焼失した収蔵品のリストはできるだけ年内に公表したい」と話した。

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2019.12.01 沖縄タイムス 朝刊 31ページ

 

放水銃1基使えず/正殿裏手 収納ふた固定

 

 

10月31日に発生した首里城火災で、全焼した正殿周辺に設置された放水銃4基のうち1基の収納ふたが固定され、使用できなかったことが30日、消防関係者への取材で分かった。また、放水銃や消火栓、ドレンチャーなど正殿地下の貯水槽(120トン)を水源とする消火設備が使用開始から十数分後に水量低下を起こしていたことも判明した。

消防関係者によると、使用できなかった放水銃は正殿裏手(御庭の反対側)に設置されたもの。どのように、なぜ固定されていたのかは調査中という。放水銃は以前、正殿南側に別の1基が設置されていたが、2013年に国が撤去した。

今回、御庭側の2基は起動できたが、正殿と放水銃との間にあったイベント舞台装置の布製の幕が消火活動の妨げとなり、消防隊が幕を撤去して放水したことも分かった。放水銃の起動開始から十数分後に水量が低下したことに、消防関係者は「想定より早いなと思った」と話した。

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2019.12.03 沖縄タイムス 朝刊 27ページ

 

特殊工具なく使えず首里城放水銃

 

 

首里城火災で、放水銃1基の収納ぶたが開けられず消火活動に使えなかった問題で、ふたは特殊な工具を用いないと開けられない状態だったことが2日までに分かった。消防関係者は「初期消火のための放水銃は常時使用できるようにしておかないといけない」と指摘。消火設備の管理体制に不備があった可能性がある。(1面参照)

使えなかった放水銃は正殿裏の御内原工リアに設置されていた。通常は地下に埋まっており、使う際はふたを開けて使用するが火災発生時、消防隊員が開けられずに使えなかった。正殿前の御庭に設置されている放水銃2基も地下に設置されていたが、消防隊員が工具を使わずにふたを開けることができたという。

消防関係者の一人は「使おうと試みたが特殊な工具がないと開けられず、一刻を争う事態だったので、消防が持つ装備での消火活動に切り替えた」と話した。

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2019.12.04 沖縄タイムス 朝刊 27ページ

 

放水銃訓練で使わず/正殿裏手の1基17年度設置以降

 

 

首里城火災で放水銃1基の収納ぶたが開けられず消火活動に使えなかった件で、この1基が2017年度の設置以降、防災訓練で使われていなかったことが3日、分かった。首里城を運営管理する沖縄美ら島財団は、火災時に監視員が専用工具で地下ピットのふたを開ける運用にしていたが、初動対応が浸透していなかった恐れがある。(25面参照)

財団は10月31日に発生した火災時の監視員の動きについて「初期消火や消防隊の誘導に当たり、放水銃のふたを開ける作業には至らなかった」と説明した。

使えなかった1基は火元とみられる正殿の裏手、御内原工リアにある。通常は地下ピットに収納されている。首里城を所有する国が17年度に従来の地上型から、地下埋設型に整備し直した。

財団によると、18年度は御内原工リアが未開園で、この放水銃を使った消防訓練をしなかった。今年5月に放水試験をし、12月の消防訓練で使う予定だったという。財団は「管理体制が適切だったかを含めて検証し、見直すべきところは全て見直し再発防止に努める」とコメントした。

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2019.12.14 琉球新報 朝刊 29ページ

 

火元、煙感知器なし/首里城火災夜間想定訓練せず

 

 

県議会土木環境委員会は13日、首里城公園の指定管理者である沖縄美ら島財団の花城良廣理事長らを参考人として招致した。火元とみられる正殿1階に煙感知器が設置されていなかったことや、第1発見者の警備員はトランシ~バーを使用しなかったことなどが新たに明らかになった。火災の影響で同財団の2019年度収支は通期で3億5千万円の赤字の見通しであることも分かった。

花城理事長は19年度の収益見通しは入場料や売店収入を合わせて約16億円だったが、火災で入場料収入などが減り、赤字の見通しだと説明した。

財団によると、煙感知器は2階に4個、3階に4個設置されていたが、1階にはなかった。火災当時、Bも早く作動したのは人感センサーで、煙感知器は6分後に作動していた。

有料区域内にいた警備員3人のうち2人は奉神門で仮眠しており、正殿で煙を確認した警備員は携帯していたトランシーバーを使用せずに2人を直接起こしに戻った。夜間の火災を想定した防災訓練はしていなかった。

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2019.12.18 琉球新報 朝刊 27ページ

 

〈首里城焼失〉数分間 遠隔監視せず/警備員火災発生時、通報遅れか/同僚起こさず現場に

 

 

那覇市の首里城火災で、首里城を所有する国、管理する県、沖縄美ら島財団が17日、首里城公園内で記者会見し、火災発生当初、正殿内の人感センサーが作動した際、奉神門にいた警備員が仮眠中の同僚を起こさずに現場確認に行ったため、ルールで定められていたモニターの常時監視をしていない時間が数分間あったと明らかにした。119番通報したのは人感センサー作動から約6分後で、同僚を起こしてモニター監視をしていれば、通報が早まっていた可能性がある。

財団と警備会社の間で定めたルールでは、警備員は奉神門のモニター室に常駐し、常に正殿内外に設置した防犯カメラの映像などを監視しなければならない。

今回の火災で警備員は当初、人感センサーの作動を不審者の侵入と思ったことから、同僚を起こさずに現場付近の警戒に行った。ただ、正殿内に充満した煙を見て火災と気付き、奉神門に戻って同僚を起こした。この際も「走った方が早い」と、持参したトランシーバーは使用しなかったという。財団の古堅孝常務理事は「数分間とはいえ監視していなかったことは反省すべき点だ」と語った。

また、人感センサーは正殿の各入り口に設置されていたが、どのセンサーが作動したかは監視室でも分からない仕組みだったといい「設備が適切だったか、今後検証する」とした。

財団側は13日の県議会土木環境委員会で、これまで夜間の火災を想定した訓練を一度も実施したことがなかったことも明かしていた。古堅常務理事はこの点も「反省すべき点だったと考えている」と述べた。

琉球新報のこれまでの取材で、正殿周辺に設置された4基の放水銃のうち、正殿裏の1基はふたを開ける工具がなく、使用できなかったことが分かっている。

沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所の鈴木武彦所長は、御内原工リア整備に伴い放水銃を設置した際に、景観に配慮するため、工具を取り付けて開けるタイプの収納ぶたにしたと説明した。「使用できなかった事実を受け止め、見直すべきところは見直す」と述べた。

財団によると、火災後の11月3日から今月15日までの入園者数は18万1409人で、前年同期と比べて5割以上減った。

鈴木所長は「現状の公開を望む声がある。安全を確保した上で、焼失した有料区域の公開も検討したい」と語った。

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2019.12.18 琉球新報 朝刊 27ページ

 

〈首里城焼失〉数分間 遠隔監視せず/警備員 火災発生時、通報遅れか/同僚起こさず現場に

 

 

那覇市の首里城火災で、首里城を所有する国、管理する県、沖縄美ら島財団が17日、首里城公園内で記者会見し、火災発生当初、正殿内の人感センサーが作動した際、奉神門にいた警備員が仮眠中の同僚を起こさずに現場確認に行ったため、ルールで定められていたモニターの常時監視をしていない時間が数分間あったと明らかにした。119番通報したのは人感センサー作動から約6分後で、同僚を起こしてモニター監視をしていれば、通報が早まっていた可能性がある。

財団と警備会社の間で定めたルールでは、警備員は奉神門のモニター室に常駐し、常に正殿内外に設置した防犯カメラの映像などを監視しなければならない。

今回の火災で警備員は当初、人感センサーの作動を不審者の侵入と思ったことから、同僚を起こさずに現場付近の警戒に行った。ただ、正殿内に充満した煙を見て火災と気付き、奉神門に戻って同僚を起こした。この際も「走った方が早い」と、持参したトランシーバーは使用しなかったという。財団の古堅孝常務理事は「数分間とはいえ監視していなかったことは反省すべき点だ」と語った。

また、人感センサーは正殿の各入り口に設置されていたが、どのセンサーが作動したかは監視室でも分からない仕組みだったといい「設備が適切だったか、今後検証する」とした。

財団側は13日の県議会土木環境委員会で、これまで夜間の火災を想定した訓練を一度も実施したことがなかったことも明かしていた。古堅常務理事はこの点も「反省すべき点だったと考えている」と述べた。

琉球新報のこれまでの取材で、正殿周辺に設置された4基の放水銃のうち、正殿裏の1基はふたを開ける工具がなく、使用できなかったことが分かっている。

沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所の鈴木武彦所長は、御内原工リア整備に伴い放水銃を設置した際に、景観に配慮するため、工具を取り付けて開けるタイプの収納ぶたにしたと説明した。「使用できなかった事実を受け止め、見直すべきところは見直す」と述べた。財団によると、火災後の11月3日から今月15日までの入園者数は18万1409人で、前年同期と比べて5割以上減った。

鈴木所長は「現状の公開を望む声がある。安全を確保した上で、焼失した有料区域の公開も検討したい」と語った。

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